寝台特急「北斗星」開放B寝台の思い出(本州編)

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昔の写真を見ていたら、寝台特急「北斗星」に(おそらく)初めて下りで乗車した時の写真が出てきたので、ちょっと懐かしの思い出を振り返ります。
※情報は2006年9月時点のものとなります。画質が良くないのもありますが、ご了承ください。

旅の出発点、上野。



多くの人が行き交う上野駅構内。

宇都宮線の発車時刻の中に輝く「札幌」の文字。

上野発の夜行列車はすべてこの13番線からの発車。

ホームに設けられた五ツ星広場で入線待ち。
あけぼの、北陸、カシオペア、北斗星と今は無き列車の数々。



ブルートレインの車体がゆっくりと入線してきた。


13番線のホーム一杯に停車する12両編成の北斗星。
機関車を入れて写真を撮るのも一苦労。


上野のホームで見る「札幌」ゆきという特別感がたまらない。


初めて乗車する開放B寝台。
開放B寝台でも、その高揚感はやはり特別だ。

進行方向と逆向きでガッカリしていたら、
青森駅での方向転換がいつの間にかなくなっており、
函館駅での1回のみに変わったため、
北海道区間は進行方向海側となった。

16時50分に上野駅を出発。
地下ホームから地上へと出る。9月の空はまだ明るい。

先頭の機関車だけがモーターを搭載しているので、
引っ張られるだけの客車はとても静かだ。
跳ね上げ式の小さな椅子を出して車窓を眺めていく。



ベッドは自分でシーツを敷いて使うスタイル。
しばらくは寝ないので、座席として利用。

王子駅を通過。



荒川を渡り、埼玉県へ。

京浜東北線を軽快に追い抜いていく。

この頃の京浜東北線は209系が主流。
大宮が近づくと、方向幕をぐるぐると回していた。

大宮駅。ほとんど乗車は無く、ボックス席はいまだ自分だけ。

食堂車でシャワーカードを購入。1人30分、時間指定で購入する。

ソファや一人掛けの椅子が配置された、ミニロビーカー。
ここに飲食物を持ち込んで、長時間寛ぐ人も多かった。

北斗星1号はJR北海道の車両のため、ちょっとこじんまり。

都会の喧騒を抜け、次第に車両には田んぼの風景が。

車内検札やシャワー券の販売も終え、
ディナータイムが開始されると、車内もようやく落ち着いてくる。

この時は上野駅で何かお弁当でも買ったのかな…

黒磯でデットセクションを通過し、交流区間へ。

小さな椅子を出して車窓を眺めている人もいなくなり、
次第に夜汽車の雰囲気が漂ってくる

シーツを敷いて、いつでも眠れる準備をしてみる。
でも高揚感で眠れない。

19時からのシャワータイムが始まった。
ロビーカーの隣にあるシャワールームAに入る。

シャワールームの利用時間は30分間だが、お湯は6分しか出ない。
止めている間はカウントされないため、
実際に使ってみると、意外と6分でも十分足りた。

普段、通勤で使っている電車と同じように揺れる車内で、
裸でシャワーを浴びるというのはとても不思議な感覚だった。

シャワーを浴びたら、B寝台へ戻る。

郡山では455系の福島ゆきが発車を待っていた。
ふるさとである本宮駅もここまで来ればもうすぐ。

これで通学をしていた頃が本当に懐かしいな。
このあと701系に置き換わっていったのが、本当に残念だった。

ワゴンサービスによる車内販売のほか、
夜になるとアイスクリームの販売がやってくる。

カチカチに凍ったアイスクリームは、つい買ってしまう。

福島駅を過ぎる頃にはディナータイムが終了し、パブタイムへ。

パブタイムは予約なしで食堂車グランシャリオが利用できる。
この時間帯になると、食堂車はすぐに利用客でいっぱいになった。

ウェイトレスがすぐにお水とメニューを持ってきてくれる。

真っ暗で車窓はほとんど見えないが、
駅を通過するときにホームの蛍光灯の明りだけがすーっと通り過ぎていく。

グランシャリオのメニュー表。
メイン料理もディナータイムの1/3ほどの値段で食べることができる。

レストラン列車が人気を博す、今の時代では考えられないほど、
クオリティの高いサービスが非常に安く提供されていた。

この日はケーキセットを頂いた。この内容でなんと700円。
しかも驚きべきことに、コーヒーのお替りまで無料だった。

この非現実感のあふれる空間を考えれば、あまりにも安い。
ということは、この時は実感できていなかった。

グランシャリオのパブタイムは23時までの営業。
気分の良くなった乗客が次々とお酒のつまみを注文していた。

頻繁に揺れる車内で、レストランと同じ接客をしながら料理をサーブするのは、
本当に体力的にも大変なことだったと思う。

ソロ個室の通路。
開放B寝台と違い、各部屋に鍵がかかっているので、
とても整然とした空間だった。

列車は岩手県へ。一ノ関、盛岡と停車すると、次は函館だ。
仙台で一人、一ノ関でまた一人、盛岡でさらに一人乗り込み、
自分の乗車する開放B寝台のボックスもいっぱいに。

向かい側に人が来ると、さすがにカーテンを開けて車窓を眺めるわけにもいかず
そのまま布団に入ることにした。
コーヒーを飲んだからか、寝台特急の高揚感からか、
なかなかこの日の夜は寝付くことができなかった。

※北海道編に続きます。

コメント

  1. カナロア より:

    こんにちは

    北斗星は乗ったことがないのですが寝台列車は高校の修学旅行で往復乗車したことがあります。

    もう20年以上前のことですが、学年主任が飛行機嫌いだったため往復とも寝台列車になったというという噂でしたが(笑)

    自分たちの学年以外では復路は必ず飛行機を利用していたので、当時はなんで寝台列車なんだとみんなで文句を言っていた記憶があります。

    往路は函館から大阪まで日本海、復路は上野から札幌まで臨時の寝台特急(当時あったエルムの時間帯)でした。
    それっきり乗ることもなく寝台列車がほとんど廃止されてしまったので良い思い出です。

    • さわやん より:

      こんばんは。飛行機嫌いの先生、思い切り職権乱用しててウケますね(笑)。
      修学旅行で往復とも寝台列車を使うなんて、今では考えられないほど贅沢な時間でしかないですが、
      あのハシゴの付いたプライバシーも何もない開放寝台で、色々と多感な高校生が長い一夜を過ごさないといけない、と考えると
      自分も同じ反応をしてしまっただろうし、この場合は先生だけが日本海で行くべきだったのかなとも思います(笑)。

      今となっては寝台列車はサンライズ出雲・瀬戸だけになってしまいましたね。
      自分もこうして当時の写真を振り返り、タイムトリップの思い出に浸っています。

  2. カナロア より:

    職権乱用、言われてみれば確かにそうですね(笑)

    旅行の行程が発表になったときは文句言っていたけど乗ってしまったらものすごく楽しかったです。
    10代の青春時代の思い出です。

    • さわやん より:

      最初は職権乱用だったかもしれないですが、結果的にはカナロアさんたちにいい思い出を残してくれた先生でしたね(笑)

      自分もそういう先生がいたら、長崎にさくらで行けたかなぁとか、思い描いたりしました。

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